70年前の素食時代。
70年前の素食時代。
日本人は芋のツルを食べて、懸命に働いていました。
菜食から肉食へ、日本人の食生活が激変。
近年、日本人の食生活が激変しています。農林水産省のデータ によると、1人1日当たりの野菜摂取量は昭和43年頃の349gをピークにその後年々減り続け、最近では300g程度と、約2割以上も少なくなっています。これに反比例するように、脂質の摂取量は増える一方。昭和30年を基準とすると現在は約2.7倍も脂質を食べている計算 です。わずか40〜50年の間に菜食中心から肉食中心へシフトし、カロリー過多・脂質過多にともなう健康問題が社会全体の大きな課題となってきました。
昭和30年代の食事を再現してみた。手前の白い皿は「芋のツルのきんぴら」、右の黒い皿は「芋のツルの胡麻和え」。昔の食事は野菜ばかりで質素だが、それがかえって豊かに思えるのは、現代人の食生活がいかに肉食中心に偏っているかの証しかもしれない。
芋のツルはアクがあるので、皮をむき、水にさらしてから料理する。皮をむくうちにアクで指先が黒くなってしまう。
一般的な薩摩芋の葉はアクが強くて食用に向かないが、ツルはクセがなく食べやすい。加熱すると緑色が鮮やかになる。
食の研究家も指摘される 菜食と一物全体の大切さ。
私たちは、食の研究家として長年教壇に立たれた楠喜久枝先生に、食生活の変遷についてお話を伺うことにしました。
「戦中から昭和30年代にかけて、食生活は豊かではありませんでしたが、食べものに感謝しながらしっかり食べていたと思います。私は戦争中に女学校の寄宿舎で生活していましたが、農家の出身の先生の指導のもとテニスコートを耕して畑をつくり、薩摩芋、トマト、茄子を育て、それをいただいて命をつなぎました。食は生きることの基本です」
当時、保存のきく薩摩芋とカボチャは日本人の主食ともいえる食べもの。薩摩芋は芋の部分だけではなく、地上に伸びるツルも料理して食べていました。「ゆでてそのままゴマ醤油で食べたり、きんぴら風の味つけにしたり。質素な料理で空腹を満たしたものです」と楠先生もおっしゃいます。
「でもね」と先生は続けられます。「現代人は食をおろそかにして、まるごと食べることを忘れがちです。昔から食養生の知恵として一物全体といわれます。食材をまるごと食べることは、その命をまるごと健康に活かせること。芋だけ、実だけでは、もっとも栄養に富んだ部分を食べていないことになりかねません。薩摩芋の葉やツルには貴重な栄養が含まれています。アジアには芋の葉を料理して食べる国もあるのですから、日本人も学ぶべきではないでしょう
飽食の時代だからこそ、素食を学び直すとき。
楠先生も言われていましたが、薩摩芋のツルをよく食べていた頃の日本人は、いまほど立派な体格ではありませんでした。しかし引き締まった強靭な体でよく働き、戦後の目覚ましい経済成長を支えてきたともいえるでしょう。私たちオーレックは、飽食といわれるいまこそ、昔の日本人のしなやかな体を支えた素食に学び、野菜を大切にした新しい健康食品の開発が待たれていると思いました。
中村学園大学名誉教授、農学博士
楠 喜久枝さん
1951年日本女子大学卒業と同時に中村学園創立者中村ハルに師事。中村割烹学院助手として勤務。以来学園の発展とともに、短期大学、同学園大学の助教授、教授として46年間勤務。専門分野は調理学、調理実習で、食に関する研究並びに教育に従事。著書に『調理学』『基礎と応用の調理実習』『調理師のための調理学』『福岡県の郷土料理』その他多数。フランス社会功労賞勲三等、福岡県教育功労賞、文部大臣教育功労賞などを受賞。